【伊奈城址公園】「控えおろう。このお方をどなたと・・・」の水戸黄門様の印籠のご家紋「三つ葉葵の紋(徳川家の家紋)」発祥の地は静かな憩いの公園に。
豊川市伊奈町の田んぼにぐるっと囲まれた場所にある伊奈城址は、徳川家の家紋「三葉葵の紋」発祥の城として知られている公園です。
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伊奈城は室町時代に本多定忠・忠助により築城され150年間にわたり伊奈本多氏の居城であった城です。
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今でも田園地帯の中にポツンとある城址公園なので、室町時代はさぞ周りには何もなかったのであろうと思います。
その後戦国時代に徳川家康の祖父である徳川家(松平家)を大きく拡大する基を創り上げた人物松平清康が吉田城(現在の豊橋にあった城)を攻めた際に。5代城主本多正忠が清康に従って先陣を務め勝利を収めた際に、この伊奈城に清康を迎えます。
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その際に城内の花ヶ池にあった水葵(みずあおい)の葉を敷いて酒肴を出したそうです。これは、中国の古典に書かれている「明らかな真心があれば谷や沼の水などでも神や王公に捧げ潔さと忠誠心を表す」というものらしいのですが、これを受けた清康は大そう喜び、「立葵は正忠の家の紋なり、此度の戦に、正忠最初に御方参て、勝軍しつ、吉例也、賜らんと仰ありて、これより御家紋とはなされたり。」(藩翰譜・新井白石編)とされています。
清康は戦勝して立ち寄った城で出てきた運の良いこの本多家の家紋「立葵紋」を縁起の良いものだと感じたのでしょうね。
これを譲り受けてやがて後にに徳川家の家紋「三つ葉葵」になったと言われています。
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1590年(天正18年)の徳川家康の関東移封にともない、8代城主・本多康俊も下総国小篠に移封となり廃城となったとされていますが、現在は本丸であった部分が「伊奈城趾公園」として整備されており、模擬櫓が建てられています。
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今回は夏の真っ盛りの時期で緑に満ちた風景になっていますが、広々とした公園で周囲の田園の緑もきれいで静かな憩いの場所となっています。
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夏の真っ盛りなのに風の通りが良くてわりと涼しい感じがしました。一度皆さんも立ち寄ってみてください。